前にも同じようなことを書いたが、とにかくも僕たちは流れゆく時の中で確実に変わっていく。それは身体的にせよ精神的にせよ、である。 身体的な変化は非常に分かりやすい。あ、一年前よりも身長が伸びたな……という変化、これは 『目に見える変化』だからだ。また、そこにはポジティブな変化 (背が伸びる、バストサイズがアップする、など) とネガティブな変化(皺が増えた、白髪が目立つようになった、など) の二者が存在するといえる。我々はこの類の変化から逃れることはできない。 精神的な変化はどうか。これについては外面的に判断することが難しいため、中々に 『うん、昨日より精神的に変わったな』 と言うことはできない。あるいは、生涯にわたって精神的な変化が訪れそうもない……という方もいるかもしれない。 しかし、変化は確実に訪れる。 外からは分からなくても、客観的には察知できなくとも、少しずつゆっくりと、僕たちは変わっているのである。 ここは僕のブログなので、僕の話をしよう。 24歳を過ぎたあたりからAVにおけるフェラチオシーンが好きになったのが僕であり、かつ、これほど明確な精神的変化もないと思うのだが、皆さんにおかれましては如何お考えか。   本論に入る前に、AV(アダルトビデオ)について詳しくない方々に向けて前提知識をレクチュアしておく。AVというものは男女がセックスをカマしている様子を収めたビデオのことであるが、ごく一般的なAVにおいては、いわゆる "流れ" というものが存在する。お約束、と言い換えても良いかもしれない。 その "流れ" をざっくり説明すると、こうなる。 ■□■□■□■□ 1 自己紹介 2 軽めの愛撫 3 フェラチオタイム 4 大人のホビー・トイによる愛撫 5 ♀「挿(い)れてぇ!」 6 セックス 7 終了(放心した女性を画面に映しこみながら) ■□■□■□■□ 作品によって多少の異同はあるが、AVというものは一般的にこの七段階によって構成される。5の部分については、そのセリフが 「もうらめぇ!」 とか「お願い!その野太いペニスをぶち込んで!!」という風になる場合もあるが、その辺は監督の趣味嗜好や世俗の流行によって左右されるものであるため、ここでは触れない。各自検討しておいて欲しい。 前提知識のレクチュアはここまで。いま確認したように、AVには 『基本の7段階』 が存在するのであるが、そもそもなぜ我々がAVを鑑賞するのか?その問いかけに対して、おそらく8割以上の殿方は頬を赤く染めながら 「聞くなよ……分かりきったことだろ……」 とお答えになるであろう。つまり僕たちはその "分かりきった行為" をカマすためにAVを見ているのであるところ、 "分かりきった行為" を適切に運行するためには "分かりきった部分" を "分かりきった状態" にする必要があるというべきであり、かつそのためには、どちらかといえば上述した 『6・セックス』 の部分が最も重要なファクターとなってくる。 ※ここで、念のために確認しておくと 分かりきった行為⇒オナニー 分かりきった部分⇒チンポ 分かりきった状態⇒チンポがビンビンになった状態 ということになるのであるが、この表現では少々刺激が強いため、教育的側面から鑑み、当ブログではなるべく婉曲的な表現を用いることとする。 そうなると、どうなるか。ハッキリ言ってしまえば、我々がオナ分かりきった行為をカマしたい!と願えば願うほど、基本の7段階における前半部分、即ち上記の1〜4の段階を鬱陶しく感じてしまうのである。悲しいが、これは真実のお話だ。細けぇことはいいんだよ!さっさとセックスしろよ!見せれ!!――と、これが僕たちの心のシャウト。皆さんはビデオの早送り機能が何のために付いているのか考えたことがありますか?そういうことなんですよ、正味のところね。 思い出す、青春の日々を。あの頃の僕はオ分かりきった行為ナニーをぶちカマすため、兄の引き出しからそっとビデオを取り出した。きっと期待からだろう、既に僕の分かりチンポきった部分は激しく高ぶっており、だからもう一分一秒も待つことができなかった。刹那、厳かにデッキへと吸い込まれていく一本のAV。 物語が、始まる―― 「はじめまして!まずお名前から聞かせてもらっていいかなぁ〜?^^」 「えっとぉ〜、レミはぁ〜」 憎しみで人を殺せたら。僕はいつもそんなことを感じていた。御託はいーんだよ御託は!?名前なんて所詮記号に過ぎないんだよどうしてそのことが分かんねーんだ!!叫んで僕はリモコンを掴み取る。本当はチンポを掴みたいのに……などと言ってしまえばそれは下らない親父ギャグであるが、とにかく僕はリモコンの早送りボタンを押すと、祈るような仕草で再び再生ボタンを押した。 「チュパチュパ…レロ…チャングム……パクヨンハ……」 「アァー、すっごい、レミちゃんすっごいいいよォー」 女将を呼べ、の世界である。あの頃、僕はただ純粋に、他人がセックスをするシーンが、そのシーンだけが見たかったのに、どうして世の中はこうも嘘や欺瞞に満ち満ちている?我々の純情を弄んで、そこまでして守りたかったものって、一体なに?そんな切なさと悲しさとが胸を席巻するが、画面の向こうにいるAV女優は何も答えちゃくれない。僕は諦念と共にフェラチオ・シーンを眺めながら、黙ってプレイ本番が始まるのを待った。 ――そんな青春の日々だった。 だから僕は、長い間AVにおけるフェラチオシーンが、嫌いだった。 「オレがAV監督になったら、フェラチオシーンを一切廃した作品を撮ってみせるね」 壮大な夢さえ描いた、あの日。 ずっとそんな日々が続くんだと思っていた。 だけど。 人は変わる。街も変わる。木々も大地も海も空も、時々刻々とその姿を変えていく。だれもその因果から逃れることはできない。宇宙ですらも徐々に膨張していく世界にあって、僕だけが変わらずにいることなんて、およそ不可能なことだ。 自分でも気が付かないうちに。 フェラチオシーンのことが好きになっていた。いやそれは、もしかすると "愛" という風に言い換えてもいいかもしれない。こんなことを言うと「愛ってなに?愛の定義は?」という声も聞こえてきそうであるが、今はそんな眠たい議論に付き合っている暇はない。取り急ぎ自説の説得性を高めるため、久方ぶりにフォントサイズを調節しておく。僕はフェラチオシーンが大好きだ。ご理解頂けただろうか。 若かった僕は、幼すぎた僕は、己が本能の高ぶりに惑わされるあまり、大切な本質みたいなものを見失っていたのである。考えてもみて欲しいのであるが、この世の中において漠然かつ抽象的なレヴェルで "セックス" という事象が存在するのは確かである。しかし、前後に何の文脈もないまま、唐突にセックスが行われるような状況は有り得ない。そこには総じて何らかの原因があり、そしてその結果としてセックスが存在しているのである。 全て繋がっているのだ。自己紹介も、軽めの愛撫も、大人のホビートイもフェラチオシーンも、その全てが "ひとつのセックス" を組成しているのである。当たり前のような話であるが、僕は長い間そのことを認識していなかった。だからいたずらにセックス・シーンばかりを追い求めたし、結果、ビデオにおける早送り機能を ――ビデオデッキ開発者たちが本来予期していなかった形で―― 酷使、した。愚かな話である。 そのことに気が付いてから僕は変わった。それはまさに 『あ、自分変わったな』と明言できるほどの変化だった。具体的には、AVにおけるフェラチオシーンを繰り返し繰り返し(again and again)鑑賞するようになった。そうか、このシーンがあるからこそ、次のスペクタクルが活(い)きてくるのか……そんなことを感じて深く首肯しながら、時に涙を、流しながら。 だからいま、素直な気持ちで宣言できる。 僕は、フェラチオシーンが、大好きだ――! というのが適当にでっちあげた妄言のお話で、ここからが実質的な本音のお話なんですが、まあ何と言いますか、僕も10代の頃とは随分価値観が変わってしまったので、あの頃は嫌いだったフェラチオシーンを今になって再評価する機運が熟したというべきっつーか、とにかくざっくり言うと、あの上目遣いの加減とかさぁ、ホラ、分かるでしょう、男子諸君におかれましては。ホント、これはAVだけの話じゃなく、プライベートな時間に関しても、な、女性の方々には鋭意上目遣いで頑張って頂きたいといいますか、オラッ!こっち見ながら舐めろや!と言いますか、いやもう最後まで言わせないで下さいよ……あな恥ずかし……。 もっと踏み込んだ議論をするならば、まあアンタらみたいな者でもよく考えてみればお分かりかと存じ上げるのだけれども、普通に生きていれば舐めないワケでしょ?その、チンポ的なサムシングなんてものは。一般的にいって 『衣食住』というものが人間生活の根幹を支えていると考えられるところ、無いじゃないですか、 『衣食フェラチオ住』ということには、ならないじゃないか。だから言ってしまえば我々の生活においてフェラチオは不要な行為形式、フェラチオはいらない子……と、こういう風になる。よろしいかな。 にも関わらず。一部の人は(時に率先して)フェラチオをカマしてしまうのです。これはもうとんでもない出来事、歴史的快挙、因果律の崩壊、と形容しても差し支えないレベルのビッグニュース。だからこそ、常識的に考えれば起こり難い事象であるからこそ、僕がAVにおいてフェラチオシーンを見たときに、具体的にいえば「えっ、普段はパン屋さんで愛想よく働いていて近所からの評判も上々、将来はいい奥さんになれるわねー、なんつってマダムから噂されている、あなたが!?舐める?!」 という(根拠のない)想像をしたときにチンポがピピンと……反応してしまうのです。簡単な話でしょう。簡単な話でしょう! よって、最近ではフェラチオシーン熱が高まるあまり、割とプレイ本番シーンがどうでもよくなってしまった雰囲気があります。しかしながら、これは僕に対して必然的に訪れた "精神的変化" 、粛々と受け止めるほかありません。もしかすると、いつのまにか違う変化が生じる可能性もあります。現在の僕は相変わらず自己紹介のシーンを早送りする傾向が強いのですが、30歳くらいになれば 「自己紹介シーンこそが至高、この若い娘がAVに出演するまでの過程を想像するだけで股間がMaxMaraになる」 といった類の情念を抱いているのかもしれません。ただ、正直に言って自己紹介部分だけで満足するような男にはなりたくありませんが……。 以上で僕におけるフェラチオ愛についての日記を終わります。なお、本日はこの他に 「大抵の男って手マンとかしてる時にやたらと寸止めして 『ら、らめぇ!イカせてぇ!!』 みたいなことを女に言わせようとするけど、女からすれば正直死んで欲しい」 といった内容の日記を同時上映する予定でしたが、当方の取材不足のため断念する運びとなりました。次回にご期待下さい!!1!1! 人気ブログランキング