春――そう、世間は時あたかも春である。 春、それは出会いと別れの季節。   これを読んでいる皆さんの中にも、進学や就職などで新しい環境に飛び込んだ方がいらっしゃることだろう。その胸中にあるのは、期待?ときめき?それとも不安、あるいは焦燥?とにかくも様々あることと推察される。 "うまくいかなかったら、どうしよう……" そんな悩みを抱えている御仁もおられるかもしれない。その想い自体は極めて自然なものだ。人間界でも自然界でも、未知なるものに畏怖するのは当然のことだからである。未知、それは突然訪れた暗闇とよく似ている。 新しい環境に突入する場合において何よりも大事なこと、それは "健全な人間関係の構築" だ。哲学にかぶれた人などは、稀に『人間、生きていくのも死んでいくのも孤独なのさ』なんてことを言うけれど、実際のところ僕たちは自分の力だけで生きていくことはできない。じゃあ、アンタの食べるお米を作っているのは誰なんだい?という話である。 仕事をするにしても勉学に勤しむにしても。 "助力をしてくれる人" が身近にいて困ることはない。それは同級生、あるいは同僚、あるいは先輩、あるいは上司……色々な人物像が想定される。特殊な例外(自宅にて一人黙々と仕事をする類の業種など) を除けば、実に種々雑多な人々があなたの周りに居る。 大事なのはその内の誰と懇意にするか――この辺りのことだ。率直な言い方をすれば 『新しい環境において、誰に "取り入る" べきか』ということになる。取り入る、という言葉それ自体はどこかダークな感じであるが、人間社会を生きていく上である程度必要とされるスキルでもある。 我々は一体誰に取り入るべきなのか。これについては実に簡単なもので、端的にいえばその集団の 『ボス猿』 を狙えばオールオーケー。クラスであれば教室の中でやたらうるさく騒いでいるチャラい野郎 (『あーダリー……つーか昨日徹夜してさぁー!』とか、聞いてもないのにシャウトしている輩)、会社であれば直属の上司、あるいは取締役クラスの重役、日本国であれば内閣総理大臣、地球であればローマ法王、以上が分かりやすい例である。もちろん、実際の場面では "影で実権を握っている人物" が存在するケースもある (例えば佐々木健介と北斗晶の関係) ので、皆さんにおかれましては柔軟に対応して頂きたい。 さて、ボス猿を見つけたあなたは次に何をするべきか。ひとつには 『殺害(SATSUGAI)』という選択肢もあるかもしれない。殺すというと聞こえが悪いが、このやり方が実効的であることは歴史が証明している。古代ローマのカエサル暗殺、ナポレオン暗殺未遂事件、ヒトラー暗殺計画……などなど、実例については枚挙に暇がない。尤もこの方法は重犯罪行為であるので、やめておいた方が無難だろう。シャバが果てしなく遠くなってしまう。 今一度 "取り入る" という方向で考えていく。こういう場合、潤沢な資金源、いわゆるイナフなマネーがあれば何ら問題はないが、どうも皆さんにそんな財力があるとは考え難いので、『財力でどうにかする』 という案は却下である。 ではどうするか。やはりここは身体、すなわちバディで解決するほかない。まあ論理必然の結論だよね。 全体的に言って世に生きる男性はホモかそれ以外に分類される。これはつまり確率論でいえば五分と五分、要するにこの世の男性の約半数はホモと言って差し支えないような気がしないでもないような気がするところ、ヘイ、もしもあなたに近しいボス猿が――ホモの人であったらば?さて、皆さんにもうっすらと "真理" が見えてきたのではあるまいか。 「でも……そんなことって……!」 躊躇うお気持ち、察します。しかしここで熟考してみて欲しい。皆さんも一度くらいは "なんか道を歩いてたら何の脈絡もなくグンバツに可愛い恥女に襲われないかなー" という、青少年に顕著なあの妄想をカマしたことが、あるのではないか。あるいは "俺が女だったら世の中の男どもにセックスさせまくるのになー" ということを、思ったことがあるのではないか。 つまりそういうことなのである。あなたは、いま、この春に!観念的な意味で "恥女" になるべき、否!ならなくてはならないのだ。暖かい青春を甘受するために、心地よい夏を、迎えるために。苦しいが、これもまた現実なのだ。耐えて噛み締めて欲しい。大丈夫、菊はまた裂く、いや咲く。 ただし、相手がホモではないという可能性も慎重に吟味しなくてはいけない。この点、相手がホモかどうか見分ける項目としては三つあり、具体的には 『青いツナギを着ているか』 『ちょっと悪そうな自動車整備工か』 『いい男であるか』 が勝負の決め手となる。 もちろんそれが全てではないし、これらの項目を満たさないからといって相手がホモではない……ということにはならない。繰り返すが、目の前の相手がホモであるか否かはあくまでフィフティフィフティ、それが確率論からの帰結である。信じて欲しい。 万が一相手がホモではなかったらどうすべきか。安心して欲しい。なぜならその場合でも、あなたがカマすべき行為は何ら変化しないからだ。いずれしてもあなたはボス猿に対してホモプレイを敢行すればオーケー。 説明しよう。まさか皆さんの中に "あー、好きな娘の弱みを握った挙句、脅迫などの行為を効果的に使用しながら意のままに操りたいなあ" という思索に耽ったことが一度も無い!という方はいらっしゃらないとは思うが、要するにそれと同じことだ。 ボスを組み伏し、猿轡を噛ませ、手足を縛り、ハアハアと荒い息を上げながら 『おいちゃんにまかせって!おいちゃんにまかせって!天井のシミを数えとったら終わるけん』 と甘言を囁き、行為に及ぶ。しこうして後にタバコの煙をくゆらせながら 『このことを公にされたくなかったら……のう?』 と水を向ける。以上だ。何も複雑に考えることはない。江戸時代の人は語った、『男同士は鶴の味』と――。だから皆、この春は 鶴になれ! 僕から言えることはそれだけだ。 真意を汲んでいただければ幸甚である。 さて長々しく語ってきたがこれまでの話は全てウソであるので一旦全て忘れていただいて、本題に入ろう。 確かに上司とか先輩とかとの人間関係も大事であるものの、まず一番に考えなくてはならないのは、当然に同僚・同級生との結び付きであろう。これなくして健全な集団生活を営むことは難しい。 ここからは少し真面目に語ろうと思う。 この時期、折に触れて 『上手に大学生活のスタートダッシュを切るためにどうすべきか』 というテーマで議論を交わされることがある。そしてその中で圧倒的に多いのが 「とにかく物怖じせずに色々話しかけてみよう」 こんな意見だ。その後には 『周りの人間も同じく緊張してるんだから、恥ずかしがることはない』 と続く。 おそらくそれ自体は正しい声であろう。自分から声を掛けるのか、掛けられるのを待つのか。微妙な違いではあるが、重要な違いでもある。 問題はこの後だ。経験則上、確かにこの時期に自分から声を掛けていけば見る見る人間関係は広がり、携帯電話のメモリーも爆増していく。だから (なんだ、チョロいじゃん!) 誰もがそう思った、僕もそう思った。 だが。ある面からすれば、それは 『携帯電話の登録件数が増えた』 という意味でしかない。また、誰かの電話番号を知ったからといって "その人と友達になれた" ということはできない。当たり前のことである。 けれども、浮き足立つ春の季節である。頭では上述したようなことを知っているはずなのに、僕たちは携帯電話の増えたメモリーだけを見て『へへ、すぐに友達できたぜ』 と、奇妙な錯覚を起こしてしまう。そのことを悪い、とか愚かだ、とは言わない。ただ、やけに切なく見えてしまう。 基本的に四月は向学心に燃える時分であり、同級生たちも足繁く講義にやって来る。時に飲み会に誘われることもあるだろう。慣れない酒を飲み、新鮮な都会の風を浴び、言い様のない高揚感を覚える。大学、楽しいぜ!――心で叫ぶこともあるかもしれない。 そして僕たちは五月を迎え、あれよという間に大型連休は過ぎ去る。そしてこの頃から、同級生の多くが講義に来なくなる。あるいは自分自身が大学に行かなくなる。この時期に差し掛かると、多くの学生は "出るべき講義" と "出なくて良い授業" の取捨選択が完了しているため、どうしても楽な方へと流されていく。そうなると当然、誰とも会わなくなる。 いや、心の奥底では 「誰か誘ってくれないかな……」 そんなことを思っているのであるが、携帯電話は一向に鳴る気配を見せない。たまりかねて画面を開き、電話帳に目を通す。そこには少なくない数の "電話番号" が並んではいるものの、どこか遠く、そしてどこか、頼りない。 『こちらから連絡して、いいものか』 しばらく悩んで、結局そのまま画面を閉じる。することもないのでパソコンを開き、時間を潰す。そのうちに夜がきて、適当にご飯を食べて、夢のない眠りに就く。そうして夏がやってきて、冬が訪れ、年が空け―― ……いつしか、四年生(あるいは、五年生)へと成り果てる。何もないまま、何もしないまま、まるで水が高きから引くきに流れていくかの如く、卒業していく。瞳を閉じても何も思い出せないままに、そのままに。 本当にそういうもんである。そういう実例を5ダース回ほど見てきた僕が言うのだから、まず間違いないと思って頂いて構わない。 どうすれば良かったのか。それに対する答はひとつではないが、我を忘れがちになるこの時期であるからこそ、 『広く浅く』 ではなく 『狭く深い』 人間関係の構築に努めた方が良いのではないか?と、いまになって強く感じる。 もちろん、人によっては 『最初に色んな人と知り合っておいて、あとからじっくり掘り下げればいいじゃん!』 という意見もあるかもしれない。それはとても合理的な考え方だと思う。 しかし、それについては "相手が抱くべき想い" という視点が抜け落ちているのではないか。『たくさん知り合い作って、あとから相性を考えればいいじゃん!』という考え方からすれば、目の前の相手は、ある意味で1/10、ないし1/100の人間関係としてしか捉えることができない。故に、心ならずも相手のことを軽んじてしまう瞬間も出てくるだろう。 だが、相手だって心ある人間なのだ。あなたにすれば1/100に過ぎない相手に見えようとも、当人はいつでも1/1の人生を生きている。そこにあって、後々になってから 『やっぱ相性良さそうだから、仲良くしようぜ!』などと言われても、どうか。自分が逆の立場だったらどう思うのだろうか。おそらく、何がしかの答がそこにある。 僕としては、無遠慮に 『新しい環境ではとりあえず色んな人に声をかけてみたら良いんだぜ!』 とは思わない。それが奏功する場合もあろうが、個人的には 『盲目的に声をかけること』 それ自体に意味があるとは考え辛いからだ。 コミュニケーション能力が大切なのはもちろんであるけれど、それは別に "強引に友達を作るための能力" のことではない。 『然るべきときに然るべく対応ができる』 それが本当の意味でのコミュニケーション能力ではないだろうか。 (先日の日記のコメント欄より) 『今日、大学初日だったんですが、周りの人と上手く話せませんでした。人付き合いは苦手ではなく、今日まであまり友達に困った経験がなかったので、なんだかショックで。肉欲さんの持論というか、アドバイスとうか、簡単でいいので教えてください。』 こんなことを書くとおためごかしのように見えるかもしれないけれど、別に初日から無理して友達を作る必要もないと思うし、そこで 『歪な自分像』を演出するくらいなら、むしろ自然体であることを念頭に置いた方がいいだろう。焦る気持ちは理解できるものの、友達というものは 『作る』という側面よりも 『出来る』 という色合いの方が濃いものだ。 だから、冷酷な言い方になるけれど、あなたが自然体のままでいて、それでも友達が出来ないのであれば。その環境それ自体があなたに向いていなかった、ということなのかもしれない。 それでいいのだと思う。孤独で居続けることの辛さ、寂しさというものは確実に存在するが、その一方で "強制される人間関係の煩わしさ" というものも確かに存在する。 自分に適していない場所で複雑な人間関係を構築しても、却って過大なストレスを生み出しかねない。つまるところバランス感覚の問題なのであるが、どうにも『友達がいない≒寂しいヤツ』 という風潮のある昨今では、友人が少ないことがあたかも "罪悪" であるかのように囁かれてしまう。だが、果たして本当にそうなのだろうか。 主観だけで全てを決め付け、かなり早い段階から『ここは自分のいるべき場所ではない!』 と妄信し、挙句の果てに殻に閉じこもるような行為に対しては、 『それ、勿体ないよ』と思わされる。しかし、吟味に吟味を重ね、長い熟慮を経た上で 『ここは自分には向いていないのかもしれない……』という結論を導いたのであれば、僕たちは彼 (あるいは彼女) の意見を出来る限りの尊重をすべきだ。 その意味で、自分がこの場所に向いているのか否か?の部分を判断させるために 『春は色んな人に声を掛けてみるといいよ』 とアドバイスしているのであれば、それは建設的なご意見である。世の中には話してみないと分からないことも、確かにある。 さて、長くてまとまりのない文章になってしまった。とりあえず 『春に訪れる出会いと別れ』 について、現時点での僕の考えはそんなところだ。もしもいち意見として参考になるところがあれば、とても嬉しい。 皆さんの迎える新生活に、幸の多からんことを―― なお、最後にもう一つだけアドバイスをさせてもらえば、春だからといって浮かれまくってのべつまくなしにマンコのメアドとかを聞きまくり、挙句にメール攻勢・電話攻勢などを仕掛けまくった場合、音よりも早く 『あの人マジウザイ』 という噂が広まり、ひどい場合になると 『あいつハブろうぜ!』 ということにもなりかねないので注意が必要だ。ソースは、分かるね。ちなみに、僕の友達でチンポが恐ろしく黒い人が語ったところによれば「春に動くのはマジ素人。プロは夏前に動く。具体的には、夏までにマンコからの信頼を培い、夏休みに一気に花開く……という寸法よ。大体のアホどもは春に先走って自爆する。だからそこでじっと耐えていれば、自然とマンコからの信頼も厚くなるのや。そして夏休みに入ったらガツン!といったったらええねん。悪い噂?そんなもんはなあ、夏休みの間に掻き消えてるよね。ウフフフ」ということらしいので、大学デビューを目論んでおられる方々におかれましては、ひとつその辺りのことを心に留めておくと良いかもしれませんね!それでは皆さん、グッラッ!(good luck!)